2019-05-14 第198回国会 衆議院 総務委員会 第16号
そして、そのことを考える上で、まず一番最初に考えなければいけない論点は、民主主義社会におきましては言論報道機関が多元的に存在することが、先生方の前で申し上げるのもなんでございますが、政党の多元性、複数政党制と並んでリベラルデモクラシーの要諦と考えられております。その意味で、NHKが余りにも肥大化するということになるのは極めて危険だというふうに私は考えております。
そして、そのことを考える上で、まず一番最初に考えなければいけない論点は、民主主義社会におきましては言論報道機関が多元的に存在することが、先生方の前で申し上げるのもなんでございますが、政党の多元性、複数政党制と並んでリベラルデモクラシーの要諦と考えられております。その意味で、NHKが余りにも肥大化するということになるのは極めて危険だというふうに私は考えております。
私の研究の分野、経済学、社会保障の分野も、やはりどっちかというと、リベラルデモクラシー的な大きい政府とそれから新自由主義的な小さい政府というところの議論になっていますけれども、もう一つ、やっぱり地域、地方の助け合いといったものはもう一回考えなければいけないと思っています。
西側、特にアメリカが唱えている非常に自由主義的なリベラルデモクラシーというのを世界に定着させるというのは不可能だというのは、これはもうはっきりしているだろうと思いますね。 例えば、一つの例はアフガニスタンとイラクのケースでありますけれども、アフガニスタンの場合には伝統的なロヤジルガという、何か部族長の会議というのがもう伝統的にあって、一回まずそれを、ボン合意をやった後にそれを開いたんですね。
一つだけ例を挙げますならば、男女同権の選挙制度を導入するということにもあらわれておりますように、大きな変革をなし遂げたわけでありますが、人権、自由、民主主義という言葉に代表されるような、いわば古典的なリベラルデモクラシーの理念を制度化する、いわば目標としてうたい、それを保障するための制度を考える、こういうことがあったと思います。 しかし、それにとどまらなかった。
参加型の民主主義というものが重視され、リプレゼンテーショナルなリベラルデモクラシーからラジカルデモクラシー、つまり根源的なところにまで戻った、まさに市民が主権を持っているというデモクラシーの原点に戻る、参加型デモクラシーのところに戻ると。それは現在のインフォメーションテクノロジー、そのようなもの、それから人々の判断能力の向上によってこれはまさに可能になる時代に入ってきていると。
これが実はアメリカの違憲立法審査制の非常に大きな根拠になっておりまして、アメリカにおけるいわゆるリベラルデモクラシー、自由民主主義ということになるわけですが、リベラルデモクラシーの考え方の基本にはそういうものがある。 つまり、投票所によって表明された人民の意思のみが国家の意思ではないのであって、そうではなくて複線的に形成される。
こういうものを読んだのは実は初めてだつたのですけれども、「立党の政治理念は、」「ひたすら議会民主政治の大道を歩む」、もう一つは「個人の自由と人格の尊厳」、こういう自由主義と民主主義という、本来余り相入れない精神だと思うのですが、個人の自由と全体の調和ということで自由民主党というものができ上がっておりまして、その基礎にあるのはリベラルデモクラシーというものの精神であります。
むしろ階級的な異質性を越えた新しい国民共同性を盛り立てていくというのがデモクラシーの危機を経験しました今日の世界的な課題でありますから、すでにリベラル・デモクラシーの立場に立ちますようなデモクラシーはすなわち地方分権である、地方自治の強化である、こういう旧思想の上にもし考えられるとするならば、私は実は賛成できないのでありまして、やはり日本の特殊な事情から考えまして、相当広域で教科書というものが使われることこそ